水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3


小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん

■津波の影響? 海岸に浅瀬が出現
2月はじめ、オルモックに着いたとき、何かがおかしいと感じました。
いつもと同じ海、いつもと同じ桟橋。
でも、どこか違う。ハテ、いったい何が違うのかな。
翌朝、ホテルのベランダから海を見て
わかりました。波打ち際がグンと沖に引いてしまったのです。遠浅になったというか、海水が下がったというか、今まで見たことのない砂場のような広がりが、
海岸から20メートルくらいのところにポッカリとできています。
大きさからいうと、バスケットボールのコートほどの広さで、
子どもや犬が遊びまわるのにちょうどいいくらい。
「海の様子がいつもとちがうけど……」
桟橋近くでいつも客待ちしているタクシーのドライバーにそう尋ねると、
「そうなんだ。急に砂州ができちゃってね。例の津波の影響らしいよ」
やっぱり!去年暮れのインド洋地震は、少なからずフィリピン各地の環境に影響を与えたようです。実は、レイテ島にくる前の1週間、わたしはミンダナオ南部ジェネラルサントスの
友人宅に滞在してきました。

そこでも人びとは、インド洋の津波による影響を口々に噂していました。
いつもはカラリと晴れ上がるシーズンなのに雨が多いとか、
シーママとかいう鯨のような動物がたくさん死んで打ち上げられたとか、
フィリピン各地で津波にともなう海の異変が見られるというのです。
たしかに海はひと続きですから、インド洋で津波が起これば、
直接的な被害を受けたマレーシアやインドネシアだけでなく、
その背後に位置するフィリピンにも何らかの影響があっても不思議ではありません。
そういえば、日本に戻ってから、たしか北海道でシャチの死体が
大量に打ち上げられたというニュースをテレビで見ましたが、遠く北海道や北極に影響が出て、
そこで大量死したシャチが北海道に流れ着いたと言えるかもしれません。
なにしろ海はひと続きなのですから、どこか1ヵ所で異変が起これば
その影響は地球規模になるといえるでしょう。
それにしても、このオルモックの海にもう10年以上も親しんできましたが、
急に海岸線が引いてしまったなんて初めてのことです。
やはりあのインド洋の津波は、近来まれに見る天変地異だったのですね。

■「戦闘」は終わっても、「戦争」は終わらない
 さて、気になっていたカナンガの不発弾ですが、
オルモックに着いた翌日のレイテ・カラバオ・ファミリーの集まりで聞いてみました。
第二次大戦の遺物である不発弾は、もうあの一帯の農地には埋まっていないのでしょうか。センター建設候補地の土地を入手するにあたって、最大の気がかりです。
わたしの疑問に、オルモック一帯の土地事情にくわしいアレス牧師が答えてくれました。
他のケースはわからないけれど、この写真に写っているものはだいじょうぶ。
中の火薬はすでに抜いてあり、外がわの金属をスクラップにして売るために木の下に集めているのだろうとのことでした。
アレス牧師からは、70年代頃まで、砲弾が埋まっているのを知らずに
田畑を耕した農民がよく事故に会ったそうですが、同じ頃、海岸付近の漁村では、
砲弾の中の火薬を取り出して小ぶりのダイナマイトのようなものに作り直し、
それを海中で爆発させて魚を獲ることが流行し、その過程でずいぶんと事故が起こったり、
死者も出たといいます。

その後、ダイナマイト漁は不法な漁法として取締りの対象になり、事故も減りましたが、
戦争当事国が遺棄した武器が放置されたままという危険な状態が
解消されたということにはなりません。本来なら、戦後日米両政府によって、
きちんと残存兵器について点検処理がなされるべきだったと思います。
中国では、最近になって日本が放置した毒ガスによる被害が続いて発生し、裁判にもなっています。日本政府も中国の要請で専門の調査団を送るなどして後始末をしていますが、
起こってから調査しても、それで被害が軽減されるわけではありません。
日本でも、茨城で井戸水が戦争中に廃棄した毒物による汚染で地域の人たちに
深刻な健康被害が出た例がありました。

今、アフガニスタンやイラクなどで戦闘が続いていますが、
大量に毒性の強い砲弾が使われている地域の今後を思わずにはいられません。
戦争は戦闘が行われている期間だけの問題ではなく、
その後、何十年、何百年と影響の出るものです。
原爆を経験した日本ならいかに後遺症が深刻かわかっているはずなのに、
ふたたび軍隊(自衛隊)をイラクに送っているのはもってのほかではないでしょうか。
  
■いっしょに食べることで、気持ちが通じ合う
 会合のあった翌日、オルモック郊外のバランガイ・マティカア(バランガイは行政の最小単位)を訪ねました。
オルモック市はレイテ島第二の大きな街ですが、一歩幹線道路を外れると、
こんなにもひなびているかと思うような田園地帯が広がっています。
マティカアはそんな田園地帯の真ん中に位置しています。
今回もアレス牧師が教会のジープニーを運転して同行してくれました。
国道からそれてしばらく行くと道はたちまち舗装がなくなり、
ガタガタの小道がどこまでも続いています。
道路沿いの小川にはアヒルが泳ぎ、木陰で水浴びする水牛の群れが気持ちよさそう。
小川の向こうには田んぼが広がり、植えたばかりの稲がさわさわと揺れています。
前回は、アレス牧師ともども景色に見とれて(?)行き過ぎてしまい、道をまちがえたので、
今回はレイテ側事務局メンバーのテモテ君が先まわりして村の入り口で待っていてくれることになりました。

マティカアに着くと、村の女性たちがいそいそと集まってきました。
今日は、去年のスタディ・ツァーの際に手渡した水牛購入資金で購入した水牛のお披露目の日です。
この地域の小農家組合のリーダーはヴェロニカ・アママグパンさん。
何年か前に、土地を入手するために地主と小農家組合との間で
たいへんな土地闘争があったと聞いていますが、そんな闘争のリーダーとは思えない、
大きな体格にやさしそうな笑みを浮かべた女性です。
リーダーが女性のせいか、ヴェロニカさんを支えてグループの運営を助けている女性たちも元気でしっかり者ばかり。しかも、とても面倒見がいい女性たちです。
わたしも初対面にかかわらずいっぺんに打ち解けて、旧知のように話がはずみました。
といっても、わたしはセブアノ語がしゃべれないので、いちいち通訳が必要です。
フィリピンは地域によって通用語が異なり、地方語が多彩なため、言葉を覚えるのが苦手なわたしはいっこうに現地の言葉を覚えません。

前にもお話しましたが、レイテ島だけでも真ん中の背稜山脈をはさんで東はワライワライ語、
西はセブアノ語、それに標準語であるタガログ語が交じり合い、とても聞き分けることも、
使い分けることができません。
セブやオルモックのあたりでいちばんポピュラーなセブアノ語だけでも覚えたいと思うのですが、
いまだに果たせないでいます。今でも言葉を覚えたい思いは捨てきれず、
いつも「英語―セブアノ語」のかんたんな辞書を持って歩いているのですが、
覚えた言葉といったら、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」くらいのものです。
この地区は女性たちが元気なせいか、どうやら男性は一歩引いた存在らしく、なかなか姿を見せません。この時間、男たちはオルモックの街で働いているのかな。
それとも会合を女性たちにまかせて畑仕事をしているのかな。
そんなことを考えていると、やがて遠慮がちに男性や子どもたちも集まってきました。
シャイなのか、みんな部屋の隅に静かに控えています。 
さぁ、女性たちが腕を奮った料理が整いました。

いよいよ会食の始まりです。テーブルいっぱいに並んだお料理を、みんなにいきわたるように、
女性たちが気を配りながら声をかけて勧めたり、取り分けたりしています。
声をかけられた男たちは、大きなお皿から思い思いに取り分け、それをもってまた部屋の隅に行き、子どもといっしょに食べています。それでいて、日本の会合でありがちな、男性は男性でかたまり、女性は女性でかたまるといったことがありません。

全員が和気合い合いで、アレス牧師のジョークに笑いあったりしていい雰囲気です。
途中からメンバー手造りの椰子酒「チュバ」場も登場して、昼食会がいっそう盛り上がりました。
そうそう、今日の主役はわたしたち人間というより、新しく仲間としてこの地区にやってきた水牛のはず。遅いなぁ、と思っていたら、あっ、どうやら田のあぜ道を男性に曳かれて1頭の水牛がこちらにやってきます。(つづく)


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