水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3


カナンガ町長の執務室で、軍の広報官とご対面


町長の執務室で真剣な話し合いが続いた

さて、前回は国軍による掃討作戦が行われている村で、ミリタリー・ハラスメント(軍による嫌がらせ)が頻発し、水牛家族の20周年記念のイベントにも参加できなかった農民グループの話をしました。兵士が村に張りついて、水牛を手放せ、食肉にして売ってしまえ、などと攻め立てられている話を聞くと、水牛家族としても事態を放置できません。最初は水牛をリボンガオの農園で預かる話も出ましたが、いつも軍の脅しに乗っていると軍が増長し、農民は苦しむばかり。そこで、一度公正な第三者を立会人にして、駐留部隊の責任者と話し合おうということになりました。そして、カナンガ町の町長さんに立会人をお願いし、町長さんの執務室で、農民グループの代表、駐留部隊の代表、それに水牛家族の三者で話し合いを持つことが決まりました。

■話し合いが裏目に出なければいいけれど・・・・
さて、いよいよ話し合いの当日になりました。わたしはレイテ島で農村支援の活動を続けて20年になりますが、軍隊とのこうした話し合いの席を持つのは今日がはじめてです。日本では、自宅からそう遠くないところに陸上自衛隊の朝霞駐屯地と練馬駐屯地があるため、イラク派兵反対の申し入れやデモなど、たびたび参加しています。特に練馬駐屯地を根拠地としている第一師団がイラクに派兵されるときには、旧日本陸軍の第一師団がこのレイテ島で「玉砕」した歴史もあり、複雑な思いで派兵をやめるよう、自衛隊に働きかけました。

日本の自衛隊も最近は市民に対してコワモテで、駐屯地に行って申し入れをする時など緊張します。でも、自衛隊はまだ憲法九条が歯止めになっていて、兵士が市民に対して銃を向けることはありませんが、フィリピンではそうはいきません。長年続けられてきている政府軍と武装集団との和平協定が未だに成立していないため、しばしば武力衝突が各地でくりかえされ、巻き込まれて死亡する農民や、武装集団の支援者とうたがわれて狙い撃ちされる市民の犠牲者があとをたちません。レイテ島には、武装集団NPA(新人民軍)の軍事拠点があると軍は考えていて、水牛家族が活動している村のいくつかもNPAとつながりがあるという疑いがかけられているのです。水牛家族も、軍の見方からすると、NPAを支援している外国人の組織と見られかねないので、よほど慎重にコトをはこばなければなりません。話し合いを申し入れたばっかりに農民が報復に会うとか、今後の水牛家族の活動が妨害されるのも困ります。反テロ戦争の激化で、フィリピンの農村の治安は今極端に悪化しています。
さて、どうやってこの困難を乗り切ったらいいのでしょうか。同行のアレス牧師は、神様は正しいものの味方だというけれど、クリスチャンでないわたしも、神様は味方になってくれるでしょうか。


牛は田水畑の耕作に欠かせない。農民は財産としてたいせつにしている

■駐留部隊の広報官はTシャツ姿の若者だった
 カナンガ庁舎に着くと、町長の執務室の前や建物の入り口付近はワヤワヤと人だかりがしていました。今日は国軍駐留部隊と農民グループとの話し合いがあると聞いて、心配して集まってきた人たちです。
 町長の執務室には、駐留部隊の代表として民生担当の広報官とボディガード役の兵士、T村の農民グループ側から男女2人の農民、水牛家族からは運営委員であるアレス牧師、ロペスさん、わたし。立会人にはカナンガ町長とT村の村長さん。それにスタディ・ツァーのメンバーの友野さんがオブザーバーとして参加しました。広報官は思っていたのとちがって、戦闘服姿ではなく、エリート部隊のロゴが入ったTシャツ姿で愛想のいい若者だったので、ちょっと安心しました。

話し合いはまず、わたしたち水牛家族がこのレイテ島で20年間何をやってきたかの説明から始まりました。わたしたちは20周年イベントの展示用に日本から持ってきた写真パネルを机いっぱいにならべて、貧しい村々に水牛をおくっていること(T村の水牛もそのうちの2頭)、女性グループが作ったバッグや手漉きハガキを日本で売って生活支援をしていること、洪水で孤児になった子どもたちへの学費支援や地すべり被災地への緊急支援などしていること、そして20周年を記念してマンゴーの木を100本リボンガオの農園に植えたことなどを説明しました。説明には写真パネルが大いに役立ち、町長も軍の民生担当官も熱心に写真に見入り、話に耳をかたむけていました。

わたしたちの話が終わって、今度は軍側が主張する番です。第19師団の広報官が言うには、T村には過激な農民リーダーがいて目下潜伏中であること、そのリーダーの組織が水牛を持っていることは組織の活動が活発化し、軍としては放置できないと言います。
これは予想した通りでした。軍がT村の農民リーダーをNPAの関係者と見ている以上、議論はむずかしそうです。それぞれの立場を主張し合いましたが、おくった水牛を軍の手から守ることはできるでしょうか。

町長はというと、兵士による村民への干渉は軍の方針だから仕方がないといった口ぶり。当事者の農民たちも兵士の嫌がらせをこれ以上エスカレートさせたくないこともあって、水牛を売るよりは他の村に当分預けたほうがましとの意見。そこで、まとめ役のアレス牧師も、しばらくのあいだ水牛をリボンガオの農園で預かることにしようと話がまとまりかけました。

でも、ほんとうにそれでいいのでしょうか。納得できないわたしの口から、思わず言葉が出ました。
「ちょっと、待ってください。T村の農民は、水牛がいる今だって食うや食わずです。もし水牛を彼らから取り上げてしまえば収穫は減り、生活はもっと困窮します。彼らはどうやって食べていったらいいのでしょう。問題の根底にあるのは貧困です。もし水牛を彼らの手から取り上げるというのなら、町長さんか、第19師団か、あなたたちのどちらかが彼らの生活のめんどうを見てくれますか?」
こういうと、執務室の中はしばらく沈黙に包まれました。「貧困」と言う言葉がみんなの胸に響いたのだと思います。土地なし農民の貧しさ、それは兵士たちだって身に沁みています。農村の貧困がこれほど深刻でなければ、目の前の広報官もボディガード役の兵士も軍隊に入らなかったかもしれないし、NPAの戦士だってNPAになる必要がないとも言えます。

町長も同様です。出身は裕福な階級で貧乏知らずだけれど、仕事上、地域の貧しさはじゅうぶん知っています。わたしの言葉を受けて、広報官と町長は何事か小声で話し合っていましたが、「それでは水牛は村に残そう。ただし、軍の掃討作戦は変えることができないので、村での監視行動が続ける」
ということになりました。やれやれ、ひとまず水牛は村に残ることになりました。貧しいことは苦しく、せつない。貧困をなんとかしなければ、というところでは、町長も、軍も、農民と同じというところでしょうか。

これで一件落着、と言いたいところですが、軍による嫌がらせを受けているのはT村だけではないのです。レイテ島各地で同様のことが起こっているので、他の村の水牛も取り上げないよう手を打っておく必要がある、咄嗟にそう思って、思わずつけ加えました。
「他の村の水牛についても話をしたいので、あなたの部隊の司令官に会わせてくれませんか?」
そういうと、広報官は目をパチクリ。まだ要求があるのか、と言わんばかりです。(つづく)



 




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