水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3




リボンガオで、<地域デビュー>をはたしました


リボンガオの農園に着くと、ゲートにはテープカット用の
赤・青・白のリボンが飾られていた。

 今日はいよいよ水牛家族の農園のオープンの日です。
 日本からは、友人の田嶋さん、友野さん、それにセブでNGO活動をしていた竹内友紀さんやネグロスのシリマン大学に留学経験のある三木康代さんが2日間の参加。スタッフはグッズ関係の難波さんと記録係りを兼ねた廣江崇君とわたし、総勢7人のにぎやかな参加となりました。

■振り返ると、アッという間の20年でした。

 会場になるリボンガオの農園に到着すると、ゲートにはテープカット用の赤・青・白のリボンが飾られていました。お祝い気分が伝わってきます。
農園の中に入ってすぐに目に付いたのは、この日に合わせて作られたイベント会場。ニッパ椰子で屋根を葺いた頑丈な作りで、ざっと5、60人は入れるでしょうか。周囲に竹製の長椅子がしつらえてあり、これならイベントが終わったあとも、みんなの集会やモノ作りのセミナーなどに使えそうです。
会場正面は素朴だけれど、心のこもったデコレーションで飾られています。何日もかけて準備をしたのでしょう、自分たちの農園なのだという意気込みが伝わってきます。
今日のゲストには、地元カナンガ町の町長代理、町会議員、地域の地区長など、町のVIPにもきていただきました。また、近所の人たちには早くからこのイベントを知らせ、おとなも、子どもも、自由に参加できるようオープンなイベントを心がけました。というのも、不在地主のタンさんの所有地を日本人の支援で入手したというので、この農園が何をしようとしているのか不審がる人びとも多く、その疑問を払う意味でも、地域の人たちに参加してもらおうと考えたからです。つまり、水牛家族の<地域デビュー>ってことですね。

いよいよレイテ側スタッフのひとり、ルビミンさんの進行で会が始まりました。わたしたち水牛家族が20年間何をしてきたかを、ロペスさん、アレス牧師、ティム君が交代で説明しました。これまで約30ヵ村の村に水牛をおくり、生まれた仔牛を含めると100頭を超えていること、手作りバッグや手漉きハガキを作って日本で販売し、女性たちの暮らしを応援していることなど。わたしの順番がきたので、20周年記念にマンゴーの木を100本植えたこと、この地域が将来的にマンゴーの産地になることが夢なので、日本のスポンサーの支援もあるのでみんなでがんばろうと(ヘタな英語で伝わったかな?)などと話しました。

■多様な人たちが支え合い、生きる場所に

余興もいろいろ用意されていました。中でも最大の呼び物は、オルモック市の収容施設からやってきた少年たちのコーラスです。みんなお揃いの水牛家族のTシャツを着て大張り切り。彼らは、いわゆるストリート・チルドレンと呼ばれる子どもたちで、家族と離れ、オルモック港近くのマーケットで寝泊りしているところを、住民に通報されたり、警察のいっせい刈り込みにあって強制収用された子どもたちで、アレス牧師夫妻が日頃からよく面倒を見ています。前回レイテにきたときに、施設の許可を得て彼らをこの農園に誘いました。すると、みんな大喜びで、アレス牧師が教会の庭で育てたマロニエの苗木を手に手に持ってやってきて、敷地のはずれの雑木林にそれぞれの思いを込めて植えて帰りました。植え終わって、アレス牧師が少年たちに伝えたメッセージがステキでした。

「キミたちはこれからどんな仕事につくのだろうか。どんな仕事につくにしろ、つらいことも、悲しいこともあるだろう。でも、この農園に帰ってくれば、自分たちの手で植えたマロニエの木が大きく成長して待っているよ」
わたしもこのメッセージに大賛成。人間はだれでも帰るべき場所があってこそ、遠く故郷を離れてもがんばって生きていかれるのです。この農園が彼らの心の拠り所になったらほんとうにうれしいと思います。

■リボンガオを選んでくれてありがとう!

余興を楽しんでいると、管理小屋のほうから、おいしそうないい匂いがただよってきます。現地スタッフが腕によりをかけて、食事の準備をしているのです。

余興も終わって、さぁ、いよいよ昼食! 大きなお皿に次々と料理が運ばれてきました。フィリピンでは、個人の家で結婚式やお葬式があると、かならず近所の人たちに盛大に振るまいます。今日も、近所の人たちが楽しみに待っていてくれて、おとなも子どもも次々とやってきました。イベントのゲストも近所の人たちも各自お皿を持ってビュッフェ形式で自由にとりわけ、みんなとても満足そうです。わたしたち水牛家族は、これからこの地域に根づいて農業やモノ作りをやっていくのですから、近所の人たちといい関係を作り、仕事を分け合い、共に発展していくことが大事です。この地域はほとんどがスコーター(不法占拠者)と呼ばれる人たちで、わずかに季節労働に従事する程度しか仕事がなく、水牛家族の農園で、自分たちにも農作業をさせてほしいという声が届いていました。

その要望にできるだけ答えていきたいと思っています。ゲストの挨拶の中に、「ウェルカム! 水牛家族のみなさん、 リボンガオ地区を選んでくれてありがとう!」という言葉がありました。農村の貧困からどうやって抜け出すか、それがこの農園をスタートさせるにあたっての大きなテーマですから、地域のひとたちとできるだけ協力してやっていきたいと思います。

■軍事作戦が展開中の村との連携が課題に

この日、もうひとつ、付け加えるエピソードがあります。みんながイベントを楽しんでいる最中に、この日参加できなかった村から連絡があり、自分たちの村は現在国軍によるNPAの掃討作戦が展開中で、監視がきびしくて村から出られない。軍による嫌がらせがエスカレートし、貧しい自分たちが水牛を持っていることを疑われ、売ってしまえだとか、もとの持ち主に返せだとか、毎日のように攻め立てられている。軍の言うことを聞かないで水牛を殺された村もあるので、この際、水牛をリボンガオの農園で預かってもらえないだろうか、という相談です。相談をしてきた村は、今から2年前にリーダーが何者かに狙撃され、まちがってサルバドールさんに銃弾が当って大怪我をした村です(通信60号参照)。

以来、国軍からはNPAとつながりがあるだろうと疑われ、行動を制限されたり、執拗な嫌がらせを受けたりしています。こういう村では何が起こっても警察は動きません。たとえば軍がまちがえて農民を殺してしまっても、軍側がNPAの拠点を発見した、銃撃戦があってテロリストを殲滅したと発表して終わりです。今、フィリピン中でこうした事態が頻発しています。反テロ戦争を強力に推し進めるアロヨ政権の姿勢が末端の兵士を増長させ、農民の暮らしを圧迫しているのです。

いったいどうしたらいいのでしょうか。急遽、レイテ側水牛家族の代表であるアレス牧師、事務局のティム君、農民グループの代表と相談をし、その結果、このままでは農民は苦しむばかりだから、一度公正な第三者を立会人にして、駐留部隊の責任者と話し合おうということになりました。そして、3日後、カナンガ町の町長さんに立会人をお願いし、町長さんの執務室で、農民グループの代表、軍、水牛家族の三者で話し合いを持つことが決まりました。この話は思いがけない展開になりましたので、次回にくわしくご報告します。


 




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