ご近所さんをクリスマス・パーティに
11月末、少し早いけれど、リボンガオの水牛家族の農園で「青空クリスマス・パ—ティ」を開き、ご近所さんをご招待することにしました。農園開設から2年、管理人のティム君一家は毎日の暮らしの中でご近所とのおつきあいが進んでいますが、見知らぬ日本人のわたしたちはいぶかしいらしく、「ハロー!こんにちは!」と声をかけても、なかなか返事がかえってきません。そこで、ささやかなクリスマス・パーティを開いて、いっきょにご近所さんとの距離を縮めようと思ったわけです。水牛家族の会議で提案すると、メンバーはみんな大乗り気! さっそく準備にとりかかりました。
◆いそいそとパーティの準備を開始
なんと行っても、パーティの中心はご馳走です。ご近所さんのほとんどが、他人の土地に小屋を構えているサトウキビの季節労働者で、現金収入にとぼしく、子どもたちはいつもお腹を空かせています。学校にもほとんど通えず、水牛家族の農園の「青空多目的ホール」が格好の遊び場になっています。
そんな子どもたちがいちばん喜びそうなお料理を、カプーカンに住むロペスさん一家とドラグのミセス・ティストンが用意してくれることになりました。幸い、日本で年末カンパをいただいてきたので予算もOK。
ティム君の家では、子どもたちへのプレゼントの用意に大忙し。わたしも買い出しを手伝ったり、アレス牧師とプログラムを考えたりで大わらわ。
当日は朝からティム君の家の裏で、コンロに薪を燃やして100人分の炊飯が始まりました。近所の女の子たちがお手伝いにきて、キャッサバ(さつまいもに似た芋)を洗ったり、男の子たちはティム君の家から机を運んだりと、そのはりきりぶりから、子どもたちの待ち遠しさが伝わってきます。
そうそう、前日、会場となる「青空多目的ホール」の屋根の葺き替えが行われました。リボンガオは丘陵地帯のため、ニッパ椰子でふいた屋根はわずか2年であちこちが傷み、壊れた隙間から空が見えます。そこでクリスマスの集いの前に葺き替えることになったのですが、共同作業に集まったご近所さんの手際が実に見事で、思わず見とれてしまいました。パーティの話の前に、ちょっとご近所さんを紹介がてら、その話をしたいと思います。
◆入植家族を受け入れることに
話は前後しますが、今回、半年ぶりくらいに農園に行って「オヤ?」と思ったのは、西側の境界線あたりに10戸ほどの小屋が密集して建っていたことです。遠いので定かではないのですが、どうやら水牛家族の農園の敷地内と思われます。ティム君に尋ねると、レイテ島北部のタバンゴという町あたりから仕事を求めて移り住んできた人たちで、いつの間にか11家族が住み着いているとのこと。
そこで、管理人のティム君はある計画を思いつきました。12月に入ったら米を作るシーズンになるので、これまで手つかずで荒れていた1ヘクタールほどの畑に水を引き、田んぼにして彼らの仕事にできないだろうか、というのです。そのためには水揚げポンプが必要で、水牛家族の予算でポンプを買い、彼らに自由に使ってもらう。彼らは、このままだと、いわゆるスコーター(不法居住者)だけど、追い出すのではなく、水牛家族の仲間として受け入れたい。そのためにティム君は彼らと事前に話し合いをして、収穫した米は農民が4分の3、水牛家族が4分の1を受け取ることで双方了承している(一般の地主の場合、地主5分・小作5分がふつう。さらにタネ代、肥料代、水牛代などを取られ、農民に現金は残らない)というのです。なるほど、水牛家族の農園をとりしきるティム君らしい発想だと感心しましたが、これはティム君とわたしだけでは決められないことなので、さっそく水牛家族の会議ではかることにしました。
会議では、わたしたち水牛家族は地主ではないのだから、同じ農民として共存していくことがまず第一。ティム君の考え通りに、入植した11家族とトラブルなく共同で米作りをしていくことができたら、彼らもまた自立の道を歩み出せる、まずはやってみようということで意見が一致。彼らを水牛家族の仲間として受け入れ、新たな一歩を踏み出すことにしました。 おもしろいですねぇ。ああ、こうやってコミュニティができていくのかと感心しました。<地域>とか<村>は自然発生的に形成されていくのです。
◆ニッパ椰子の葺き替えが初仕事
翌日、さっそく入植してもいいですよ、いっしょに米作りをやりましょう、という水牛家族の意向が11家族に伝えられました。11家族も、この場所に落ち着いていいのだということがわかり、さぞ、ホッとしたことでしょう。
そして、「青空多目的ホール」の屋根ふきの日がきました。朝から集まってきた入植家族の男たちは、手際よく古いニッパ椰子をはがし、次々と新しいものに取り替えていきます。ティム君もそうですが、このあたりの農民はだれでも小屋作りの技術を持っています。日本の農家が、納屋や家畜小屋などは今でも自分たちで作ってしまうのと同じでしょう。
ティム君には屋根だけでなく、もうひとつの懸念がありました。「青空多目的ホール」の四隅みの柱の1本が、虫食いのせいか、すっかり土台のあたりが削られて細くなってしまっていることでした。このままでは、次の台風で建物が倒れかねません。男たちに相談すると、ついでに柱も取り替えようということになり、数人が材木屋に走って新しい材木を取り寄せ、柱の取り替え工事が始まりました。多目的ホールは、柱が10本、その上にニッパ椰子の屋根が載っているだけの建物ですが、いちばん負担のかかっている四隅みの1本を替えるのはそうかんたんではないでしょう。いったい、どうやってやるのだろうと興味津々で見ていると、まず屋根の重みをつっかえ棒で支え、「エイ、ヤッ!」というかけ声とともに古い柱をはずし、そこに素早く新しい柱を差し込み、据え付けるのです。一歩間違えれば、建物全体が崩壊しかねません。男たちは呼吸を合わせ、ほんとうに「エイ、ヤッ!」と取り替えてしまいました。
この一連の作業を、いちばん年長の50代とおぼしき男性がリードしています。大工の頭領のように、ちゃんと指揮するリーダーがいるのですね。チームワークの良さは抜群! 彼らとなら米作りもきっとうまくいくことでしょう。
作業が終わると、それまでまわりで見物していた少年や少女たちが廃材や壊れたニッパ椰子をたちまちきれいに片付け、箒を持ち出して掃いています。ここでは子どもたちも共同体の一員だということがよくわかります。ごく自然な、息の合った共同作業ぶりが新たなご近所とのいいつながりを予感させ、うれしい光景でした。
屋根ふき作業のすべてが終了し、男たちにはチュバ(椰子酒)と煙草がふるまわれました。報酬はそれだけでいいというのです。わたしたちも、あたたかく、お祝儀として、彼らの気持ちをいただくことにしました。その晩は、電灯のない、真っ暗な「多目的ホール」で、ギターに合わせて歌う男たちの声がいつまでも響いていました。
◆うわッ、ブタの丸焼きだ!
さて、話はクリスマス・パーティ当日に戻ります。
開始の時間が迫ると、子どもたちがソワソワと会場となる「青空多目的ホール」のまわりに集まってきています。裏庭の賄いを見に行くと、
「たいへん! 子どもだけでも100人はくるそうよ。大人をいれたら、150人くらいになるかも!」
とティム君のお連れ合いのジーンさんはうれしい悲鳴。お料理が全員に行き渡るかどうか、彼女の采配にかかっているのでちょっと心配そうです。
そこへカプーカンからジープニーを1台チャーターしてロペスさんの一家が到着しました。なにやら神輿のようなものを一家の男たちが担いでいます。会場に到着してテーブルの上に置き、覆いを取り除くと、なんと! ブタの丸焼きではありませんか! それを見ただけで、子どもたちは大興奮……と言うより、「信じられない!」と言った表情。中にはあっけにとられたように立ち尽くしている子どももいます。
無理もありません。なぜ自分たちが見知らぬ農園のクリスマス・パーティに呼ばれているのか、それさえ定かではないのに、これまで口にしたことがないブタの丸焼きが、突然目の前に出現したのです。一体、これから何が始まろうとしているのか、子どもたちが思考停止状態になるのも無理はありません。
わたしにしても、ブタの丸焼きの登場にはびっくりしました。フィリピンでは、ブタの丸焼きは結婚式など、お祝いの席を飾る伝統的な儀礼食です。最近はマーケットなどでも切り分けて売っていますが、一般庶民には縁遠く、なかなか口に入りません。わたしも22年間、レイテ島の農村に通っていますが、こうして丸ごと焼き上がったレチョン(ブタの丸焼き料理)がテーブルに上ったのは、たった1度、水牛家族の10周年記念のセレモニーの時しかありません。きっとロペスさんは、今回のご近所さんとの出会いを水牛家族の農園の基礎を築く大事な機会と考え、クリスマスということもあって、大盤振る舞いをしようと考えたのでしょう。そのうれしい心使いに感謝して、ご近所さんといっしょにありがたくご馳走になろうと思います。ロペスさん、ブタさん、ありがとう。
◆1年の無事を感謝して
東海岸ドラグからは、4時間もかけて、ミセス・ティストンがおいしそうな手作りの飲み物「ピンク・レディ」を持参し、到着しました。パーティのために大量に作ったようで、親戚の男性がお手伝いについてきています。
「ピンク・レディ」のレシピは、
1カモーテ(さつまいもに似た芋)の葉を大鍋でグツグツ煮出す2葉を取り出して冷まし、その中にカラマンシー(カボスの一種)を絞り入れる というだけでできるそうですが、お芋の葉っぱからできたとは思えない、ほんとうに美しい、透明なピンク色なのです。そしてそれがまた、おいしいこと! わたしはすっかりこの飲み物が気に入り、いつか自分でも作ってみようとレシピをしっかり胸にしまいました。
オルモックから、アレス牧師と10数人のシティ・ボーイが到着して、いよいよパーティの始まりです。これまで彼らを「ストリート・チルドレン」と呼んできましたが、もう路上生活から足を洗っているのだから、これからは街のカッコイイ少年たち、「シティ・ボーイ」と呼ぶことにしました。
アレス牧師のお祈りでパーティが始まりました。ところが、子どもたちの目はテーブルの上のブタの丸焼きに張りついて離れません。わたしたちは、子どもたちがパーティを楽しめるようにと、歌やお話、お絵描きのプログラムなど、知恵をしぼって計画を立てたのですが、それらのプログラムをすべて省略。まず食べることから始めることにしました。
ロペスさんの息子のひとり(ロペスさんは息子だけでも6人!)がエプロンをして、大きなナイフとフォークを使ってレチョンを切り分けます。水牛家族のメンバーやご近所の女性たちにも手伝ってもらい、食事の配給が始まりました。まず小さな子どもたちから順番にバナナの葉のお皿を持って並び、ご飯とご馳走を山盛りに取り分けてもらい、小鳥のヒナのようにお行儀よくベンチに並んで食べ始めました。
中学生以上の少年少女、それにシティ・ボーイたちは、思い思いに好きな料理をテーブルからお皿に盛りつけ、豪快に食べています。今日ばかりは制限なしに食べていいので、ノドの上まで詰め込んだ少年がいたと、後でアレス牧師が笑って話していました。人間、心いくまで食べられるということは、なんと幸せなことでしょう!
30分もすると、みんなの顔つきがすっかりなごんで、小さな子どもたちはトロリと眠たそうです。ほんとうに寝てしまわないうちにプレゼントを渡そうと、水牛家族の用意した心づくしのプレゼントを子どもたち全員に配ってパーティは幕を閉じました。
今年の活動の締めくくりとして、こんなに楽しいパーティができたことを会員のみなさんに心から感謝します。ほんとうにありがとうございました。
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