水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3


トンナゴンは泣いていた

トンゴナンはレイテ島オルモックと隣町カナンガの境にある小さな村です。はじめてトンゴナンに行ったのはもう十年以上前のこと。地元の人の話では、トンゴナンでは川の底から熱いお湯が湧き出ている箇所があって、そこで玉子をゆでたり、バナナをゆでてピクニックを楽しんでいるとのこと。わたしたちも行ってみようと、クッキング用のバナナを持って、水牛家族の仲間たちとワイワイ出かけました。当時、すでにトンゴナン村に日本のODAで地熱発電所が作られたことは知っていましたが、まさかこれほどひどい公害の発生源になるとは想像もしていませんでした。



トンゴナンのピクニック・ポイントに近づくと、硫黄のような臭いが鼻につきます。この臭いで、ここが温泉地帯であることがわかります。日本でなら露天風呂でも作って楽しむところでしょうが、フィリピンでは温泉浴をして楽しむ風習がありません。わたしたちは足だけ川に入ったり、あたりを散策したりして、バナナがゆで上がるのを待ちました。そのゆで上がったバナナを食べた時のおいしかったこと! サツマイモをもっと甘ずっぱくしたおいしさで、今でもその味が忘れられません。
そのトンゴナンに、今回、カナンガ町長の許可を得て、「歴史の旅に学ぶ会」の人たちを案内することになりました。この会は、わたしの住む東京・練馬区を中心に、過去の戦争で日本が加害を与えたアジアの国々を旅しているグループで、わたしが案内役になって、マニラ、レイテ、セブを10日間(2月22日〜3月3日)でまわりました。たいへん興味深い旅だったので、その中身は追々紹介したいと思います。
さて、話はトンゴナンに戻りますが、発電所を見学するのになぜ行政の許可が必要なのか不思議でしたが、ともあれ、「レイテ・カラバオ・ファミリー」代表のアレス牧師といっしょに町長のオフィスを訪ね、規定通り、町長の許可を得ました。
翌日「旅の会」の人たちを同行してふたたび町長のオフィスを訪ねると、町長は他の用件を差し置いて、機嫌よくわたしたち一行を執務室に招き入れ、全員で記念写真を撮った上に、専用の視聴覚室に案内して宣伝用ビデオを見せてくれました。おまけに発電所に行くのに町有のマイクロバスを出してくれ、しかも案内の職員までつけてくれるというのです。「旅の会」のメンバーも、連日オンボロ・ジープニーで走りまわっていましたから、クッションのいいマイクロバスのふっくらシートに座って大喜びでしたが、どうもこの“ビップ待遇”は要注意です。職員までつけてくれたところを見ると、あまり立ち入った見学はしてほしくないという行政当局からのメッセージではないでしょうか。

●腑に落ちない地元優遇策

山道を登るほどに、あたりの風景がどんよりと異様な空気に包まれてきました。山には樹木が生い茂ってはいるのですが、亜熱帯植物特有の精気がありません。亜熱帯では、樹木は日本にくらべて3倍は早く成長すると言われていますから、樹林は濃い緑に包まれ、うっそうとした森になっていて当たり前なのです。
途中、山を切り開き、大掛かりな工事をしているところがありました。案内役の職員に何の工事か尋ねると、発電所周辺の村々の職のない若者たちのためにテクノロジー専門カレッジを建設し、授業料無料で開放するプロジェクトが始まるのだそうです。
なんだか妙です。この町は地熱発電所以外にこれといった働き場所がありません。職業訓練用のカレッジを作るなら、町全体の若者が通えるようにするのは当たり前でしょう。それなのに、なぜ地域を限定してトンゴナン周辺だけに優遇策を実施するのでしょうか。ひょっとして、これは日本の公害企業がよくやる“公害隠し”ではないでしょうか。日本でも公害問題が多発した一時期、被害を受けた地域住民から苦情が出ないよう、行政と企業が一体となって地域限定の優遇策を実施したものです。
そこで、案内役の職員に、このカレッジの建設資金はどこから出るのか訪ねると、案の定、資金はトンゴナン地熱発電所を運営するPNOC(フィリピン・ナショナル・オイル・カンパニー)だと言います。PNOCといえば、その前身はマルコス時代にエネルギー開発の担い手として創設された国策会社でしたが、数年前になぜか民営化されました。その民営化で勢いを得たのか、今ではPNOCは、フィリピンの経済発展の中核を担う存在です。日本の総合商社・丸紅とも関係が深く、たしかトンゴナンにプラント(発電機)を納入したのも丸紅だったはずです。
そういえば、日本の外務省のODA担当部門であるJBIC(去年の10月に組織替えして現在は新JICA)とPNOCも、経営上の関係が深いと思われます。数年前、PNOCが発行した公債をJBICが買い取り、保証供与したというニュースが報道されました。どうも、トンゴナン運営の影に、<PNOC−丸紅−JICA>という線が見えてきます。フィリピン国内のエネルギー開発・エネルギー政策に、日本政府が今なおODA供与というかたちで深くかかわっているといっていいでしょう。
これは見逃せないことになってきました。そういえば、数年前、アロヨ大統領がこのトンゴナンを訪れ、新規導入した発電機の前で、満面の笑みを浮かべてモーターのボタンを押す瞬間の映像がテレビ放映されました。その時の解説では、トンゴナンの地下にある火山帯は予想以上に熱量が豊富で、セブ、ボホール、ルソン島などにも電力供給が可能であり、今やレイテ島はフィリピンのパワー・センターだ、ということでした。当時、地元トンゴナン村には貧しくて電気が使えない家々がたくさんありました。それなのに、海底にケーブルまで敷いてセブやルソン島の工業団地に電気を供給して、一部の企業や外国資本にサービスするのかと、地元からは強い不満の声が上がりました。

●地熱発電はクリーン・エネルギーではないらしい

わたしたちを乗せたマイクロバスは、さらに山を登っていきました。すると、山の窪みに青い絵の具をとかしたような、あざやかなライト・ブルーの水をたたえた池がありました。とうてい自然の池とは思えません。あまりにも周囲の山々と不釣合いなので、思わず腰を浮かし、窓の外に目をこらしました。「旅の会」の人たちも驚いたようで「ウワーッ」という声がいっせいに上がりました。すると、ガイド役の職員が、「これは発電後の排水を貯めている池です。写真を撮りますか?」と言って、マイクロバスをとめてくれました。みんなドヤドヤと外に出て、その排水池のブルーに見とれたり、写真を撮ったりしました。
排水がこんな色をしているところを見ると、この排水を流している川の水や地中深く流れている地下水が汚染されていることはまずまちがいなさそうです。そういえば、以前、このトンゴナンに隣接する村の畑に台風で発電所の排水が川を通して流れ込み、作物に被害が出て、わずかな補償金をPNOCから受け取ったという話を聞いたことを思い出しました。その時、わたしは、まだ地熱発電はクリーン・エネルギーと思い、畑の汚染は一時的な事故だろうと思っていました。当時、フィリピンでは原子力発電を推進する動きが出ていましたから、それに比べたら、自然エネルギーである地熱発電の方がずっとクリーンだろうと安易に思っていたのです。
 だんだん公害に関する知識の断片がアタマの中で寄せ集まり始めました。ちょうどジグゾー・パズルをやっている時のようです。そう、わたしは80年代、ずっと足尾鉱毒事件のフィールドワークを関東一円で続けていて、同じ鉱毒事件がレイテ島で発生していると聞き、それがきっかけで、1986年、はじめてレイテ島にやってきたのでした。その時に銅の精錬所を稼動させるために建設されたトンゴナンの地熱発電所も視野に入っていたはずなのです。それなのに、ここまで公害が深刻化しているのを見落としていたとは!
でも、落ち込んではいられません。わたしたち水牛家族の農園はこのトンゴナン地熱発電所と同じカナンガにあり、農園からは発電所から立ち上る白い煙が見えているのです。これからはカナンガ町当局も巻き込んで、なんとかこの大気汚染や水質汚染に歯止めをかける活動をやっていかなければなりません。硫化水素系の化学物質による大気や水の汚染はジワジワと人間の体をむしばみます。被害を最小限にくい止めるにはどうしたらいいでしょうか。(つづく)

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