水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3


レイテ戦の記憶を無駄にしないために



波静かなドラグの海岸で遊ぶ子どもたち。マッカーサー上陸時、
この湾は700隻の戦艦や上陸艇で埋め尽くされた。
パロにあるマッカーサーの像。アメリカはこの場所を半永久的に借り上げ、
"フィリピンの解放者"を印象づけている。

前回、レイテ島東海岸にあるドラグの町のレポートをお送りしました。
この町はマッカーサーが上陸した海岸のもっとも南に位置する町で、戦った日米の兵士にも、町の住民にも多くの犠牲がでました。日米の兵士についてはその実数がはっきりしていますが、住民については、未だに犠牲者の数や被害実態が明らかになっていません。前回訪ねて、住民の中には今もレイテ戦当時を記憶している人もいることがわかり、今後聞き取りをしていきたいと書いたところ、三重県四日市市在住の小林英さんから、レイテ戦で亡くなられたお兄様をしのぶお便りをいただきました。
戦後60年以上を経過したけれど、戦争で父や兄弟を亡くされた方たちは、今も癒えない気持ちを持ち続けていることでしょう。フィリピンの人たちも、日本人も、死者を思う気持ちに変わりはないと思います。同じ人間という立場で思いを語り合うことができたら、きっと二度と争いのない社会を創り出すことができるのでは・・・・。そんな思いから、この連載の中にみなさんの思いを織り交ぜて行きたいと思います。
以下は小林英さんのお便りです(私信の部分は除く)。

ドラグで戦死した兄を思う    小林 英
前回の「水牛家族」の通信で、レイテ島ドラグにホームスティされた文章を拝見してペンをとりました。レイテ島ドラグは、私の兄(当時少尉)の戦死地とされているところです。生還された方の話では、兄は艦砲射撃に向かって突撃していったということでした。母に代わって巡拝団に加わって悲しい旅をしたのは30年も前になってしまいました。時間の関係でマッカーサー上陸記念の像は見ませんでしたが、椰子林の連なる美しい浜辺でささやかな慰霊祭をしていただき、根方にはびこっているおじぎ草に携えていった故郷の渓の水を注ぎました。るり色の渚に菩提寺からいただいた卒塔婆を浮かべ、沖に向かって兄の名を呼んだことも昨日のことのように思い出されます。つねに兄のことは心を離れません。兄を思うと、すぐに胸がつまります。先日来、自衛隊の田母神航空幕僚長(侵略戦争を肯定している論文を発表した)には怒りと悲しみで言葉もありません。

小林さんからいただいた年賀状には、最後に「憲法九条を変えようとする政策に反対します」との1行を書き添えられています。二度と戦争をしたくない、だから九条を堅持するのだという強い思いが伝わってきます。小林さんが戦争を推進する政策に反対すると主張する背景には、お兄様を戦争で亡くされた辛い経験があったことを初めて知りました。
お便り掲載の了解をいただきたいと連絡をとったところ、快諾のお返事といっしょに、歌集『飛梅集』が送られてきました。耳慣れない「飛梅(とびうめ)」は亡くなられたお兄様の子ども時代の「しこな」(相撲をとる時の名前)だったそうで、お父上が村の祭神菅原道真の故事にちなんでつけられたのだそうです。子ども時代の記憶に残る平和な情景も、国家が戦争を引き起こせば一瞬で吹き飛んでしまいます。国民を犠牲にする戦争とは一体何なのでしょうか。田母神航空幕僚長の言葉が胸に突き刺さるという小林さんの思いもうなずけます。
その『飛梅集』の中に、こんな歌がありました。

供養の碑などは思はずレイテ島に水牛贈るくわだてよろこぶ
                  「水牛家族」に母とともに入会す
                         
水牛家族がスタートしたのは20年前ですから、その頃詠まれた歌でしょう。供養の碑より水牛をおくる方がいい、とわたしたち水牛家族の活動に賛同してくださったのですね。託された平和への思いを大事にしたいと思います。
レイテ湾にのぞむドラクの海は、今も美しいるり色です。美しい海を見ると、この海がふたたび外国の軍艦で埋め尽くされることがないようにしなければといつも思います。望まない争いや暴力を拒否する姿勢を明確にすること、それがますます大事になってきている時代だと思います。



 




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