水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法



No.10 ティム君一家の暮らしが始まりました
No.11 トンナゴンの空は泣いていた
No.12 いよいよ土地探しも終盤に
No.13 わぁッ、びっくり!不発弾!?
No.14 小農家組合のリーダー、ヴェロニカさん
No.15 マニラに地主のタンさんを訪ねたけれど……
No.16 急転直下土1地がわたしたちのものに!
No.17 大きい夢に向って、小さい歩がはじまります
No.18 地すべりの村、希望と絶望が背中合わせ
No.19 <地域デビュー>をはたしました
No.20 軍の広報官とご対面
No.21 キャンプ・ドーンの司令部を訪ねる
No.22 フィリピン中で深刻な米不足
No.24 レイテ戦の記憶を無駄にしないために
No.25 ミセス・ティストンのお宅にホームステイ
No.26 ODAで得をするのはだれ?
No.27 ーご近所さんをクリスマス・パーティにー
No.28 破壊が進んだ環境の再生をめざして
No.29 子どもはみんなアーティスト
No.30 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争−その1
No.31 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその2
No.32 抗日ゲリラの歴史・アミハン君の戦争ーその3


●1本の電話がきっかけに道が拓けた

前回、地主のタンさんをマニラに訪ねたけれど、話し合いがもの別れに終わったことを書きました。サルバドールさんが銃撃される事件などもあって、すっかり気落ちして帰国したのでしたが、それを吹き飛ばすうれしい出来事が日本で待っていました。

 帰国すると、会員の方からの何通かのお便りが届いていました。カンパを大々的に呼びかけてはという提案や、土地代の足しにと実際にカンパを送ってくださった方もありました。みなさんが親身に心配してくださっていることが伝わってきて励まされました。

 その数日後、東京郊外に住むKさんから電話をいただきました。近いうちに郵便貯金が満期になるので、それを土地代に使ってほしいとの申し出です。金額は300万円、ちょうど地主の言い値に相当する額です。予想外の申し出にびっくり!

 Kさんの名前には心当たりがありましたが、これまでにお会いしたことも、電話で話したこともありません。それなのに、サラリと巨額のカンパを申し出られたのです。
それから電話で長い話になりました。Kさんは東京郊外の市営住宅に住む60代の女性、ひとり暮らしでからだもあまり丈夫ではないとのこと。小さな庭に花や野菜を植えて日々の糧にしている、農村出身なので、土地の大切さ、ありがたさをよく知っている、だから「これはいい土地だと思ったらぜひお買いなさい。そのためにお金が使われるのなら本望です」とおっしゃいます。

わたしはまだ夢をみているようで、「それではお借りできますか? レイテの仲間とがんばって、必ずお返しします」と答えました。「いいえ、返さなくていいのです。自由に使ってください」とKさん。

Kさんはクリスチャンだそうです。水牛家族には、1987年の創立以来の会員で、18年間会員として活動を見てきたとおっしゃいます。「今までは会費を払うだけだったけれど、ようやくわたしの出番がめぐってきました」と謙虚な姿勢をくずしません。わたしは水牛家族を続けてこられたのはKさんのような方たちの支えがあってのことなのだとつくづく思いました。これはもうレイテの人びとの思いが海を越えてKさんに届いたとしか思えない、奇跡が起こったのだ、そう思ってKさんの申し出をありがたく受けることにしました。

●法律も水牛家族に味方した
思いがけず土地代をいただいた事情をレイテの仲間に伝えると、もうみんな大喜びです。さっそく地主のタンさんと連絡を取ることになりました。法的な手続きに入るので、いよいよ弁護士マラーテさんの登場です。

マラーテさんとは水牛家族創立15周年記念の集まりで始めてお会いしました。人権派の弁護士で、土地を追われたり、収穫時に代金を支払われないなど、人権侵害を受けている農民や労働者の支援を一手に引き受けているという紹介でしたが、大きな体躯でキビキビと行動し、やさしい人柄が印象的でした。その後、水牛家族の日本側・レイテ側がひとつの組織として登録することになり、知恵をお借りしたことがきっかけで水牛家族の仲間入り。いっぱい食べ、いっぱい笑い、いっぱい仕事をし、問題を抱える農民や労働者から絶大な信頼を得ています。

マラーテさんの作戦は、徹底的に土地についての資料を調べることでした。所有権はだれなのか、登記はきちんとしてあるかなど、法律家としての知恵をしぼり、レイテ州やカナンガ市の公的な記録を入手して調べました。すると、タンさんの土地の一部が数人の小地主の所有になっている記録がみつかりました。なんと! マルコス時代の法律で所有権が小地主たちに移っていたらしいのです。

こうした資料を持って、マラーテ弁護士は助手役のティム君を伴なってマニラのタンさんに会いに出かけました。タンさんはマラーテさんが持参した書類を見て、はじめて自分の土地の一部が小地主たちの所有になっていることを知ったそうです。そこでマラーテさんは改めて交渉の仕切りなおしを申し入れ、その結果、今後1か月以内に総額100万ペソ(200万円)を現金で支払うという条件で、タンさん所有の土地を引き渡すという契約に応じました。その夜、ドキドキしながら結果を待っていた東京のわたしの元へ、マニラから仮契約の手書き文書がFAXで送られてきました。それを見て、思わずうれしさで跳び上がりました。

● 現金移送作戦はアクション映画のようだった
レイテに戻ったマラーテさんとティム君はふたたび精力的に資料調査にあたり、小地主たちの権利を、まとめてひとりの代理人が持っていることを突き止めました。実際に土地は使われていないわけですから、その権利を譲り受ける交渉を代理人とすすめることで、こちらも解決のめどが立ちました。やれやれ、土地はもともと自然物ですから誰のモノでもないはずなのに、現代社会では現金でやりとりされるのですから実にやっかいですね。

いよいよ本契約に入るため、わたしが日本からフィリピンに現金を持参することになりました。最初は銀行か郵便局を通して送金することを考えましたが、その手数料がバカにならない。10万円以上もかかるときいて、それだったら水牛が2頭も買えてしまいます。とてもじゃないけど手数料は払えないと、自分で持っていく決心をしました。

ところが、わたしときたら、100万円以上の大金を見たことも触ったこともないのです。さて、250万円(200万円の土地代プラス法的手続きなどの諸費用)をどうやって持っていこう。アレコレ考えましたが、結局ふだん通りに使い慣れたバッグに入れて、いつもと変わらないスタイルで成田を出発しました。

フィリピンに行ってからがさらにたいへんでした。地主のタンさんは日本円では受けとれない、ペソでなければダメ、といいます。これにはまいりました。オルモック中の銀行や換金業者を走りまわっても、1日で200~250万円分(50万円は小地主の対応に残してある)のペソをかき集めるのは無理でしょう。結局、アレス牧師の口利きでまず大手銀行のオルモック支店長にお願いに行き、マニラの本店に電話を入れてもらい、支店で為替にしたものをこんな人物(わたしのこと)が弁護士といっしょに持参するのでよろしく、とまず橋渡しをしていただきました。そしてタンさんには、銀行にタンさん名義の口座を新設してもらい、その口座にわたしたちが持参した為替の金額が入金されるという段取りです。
いよいよマニラに本契約に行く当日。マラーテさん、ティム君、わたしの3人は、アクション映画並みの隠密行動です。早朝まだ暗いうちにホテルで待ち合わせ、途中どこかでホールドアップに会うといけないので、オルモックからタクロバンに通じる道路をマラーテさんの知り合いのクルマで突っ走りました。タクロバン空港では目立たないよう出発直前の国内線にすばやく乗り込み、マニラについてまっすぐタクシーで宿に着いたのが午後3時。そこでようやく、3人とも朝食も昼食もとっていなかったことに気がつきました。

近くのレストランでの食事もそこそこに宿に戻って、次は契約書の作成。できるだけ完全なかたちで文書を作ることが交渉をうまく運ぶ秘訣とマラーテさんに励まされ、ティム君が深夜までかかって書類を書き上げました。

●契約終えてタンさんとも意気投合
翌日、タンさんは自宅でわたしたち3人を待っていてくれました。今回、タンさんにはサンフランシスコから一時帰国している末の弟さんが保証人として同席することになりました。年の頃は50代半ば? 髪をオールバックにし、胸を肌けたセクシーなシャツと細身のジーンズ、よく磨いた先のとがった靴、古きよき時代をしのばせます。少々背中が曲がっていますが、彼に会ったとたん、わたしたち3人は「アッ、プレスリーだ!」といっせいに心の中で叫びました。エルビス・プレスリーが生きていたら、きっとこんな風に哀愁をただよわせていたでしょう。

タンさんとミスター・プレスリーとの交渉は順調にすすみました。なにしろ、水牛家族はこれで3回も遠くレイテ島からマニラに出向いて熱心に交渉を繰り返したのです。
交渉を終え、タンさんの法定代理人を訪ねて契約書にサインをもらい、いよいよみんなで銀行に行き、予定通りの段取りで土地引渡しの契約と支払いを無事に終了しました。

終わってみると、地主のタンさんも、わたしたち3人も、一仕事やり遂げた思いはいっしょ。すっかり意気投合し、帰り際、タンさんから自宅に寄るよう言われ、そこで3人それぞれにタンさん自慢の特大・特上のベーコンをいただきました。(日本まで持ち帰れないので、わたしのベーコンは宿のキッチンでじゅうじゅう焼いて、ビールで乾杯しながら3人でお腹におさめてしまいました。みなさん、失礼!) 
それにしても、人間、ねばってみるものですね。ついに土地の入手に成功しました。今回ほど日本側メンバーの温かさや理解の深さ、そしてレイテの仲間たちの賢さと見事なチームワークに感心したことはありません。ほんとうにみなさん、ありがとうございました。




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