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スタディツアー体験談

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友野重雄さん

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薮下 直子

宮脇由里子

阿部興二

佐藤祐三


「水牛家族」スタディ・ツアーに参加して
友野 重雄

一週間の短い旅file:///Volumes/kozo/suigyu-site/tomono.gifではあったが、レイテ・セブ島での映像がありありと脳裏に残っている。そこで出会った光景や人々の表情が、南国の風土と強い光線・陰影の中で浮かび上がってくる。日本で暮らす私にとって、1960年代やそれ以前の風景を思い出させ彷彿とさせるのだ。取り返しのつかない、失ってしまった「その時・心」を感じながら・・・。

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慣れた手つきで作業する友野さん(タガック村で)

感傷に浸っている場合ではない。フィリピンでは、親米アロヨ政権になってこの6年、新自由主義経済政策(グローバリズム)の下、それに抵抗する農民・牧師・弁護士など800名以上が軍やその手先によって殺されている(日本の新聞・テレビはほとんど報道しないが、竹見さんがあちこちで報告している。他に先日死去された小田実さんのホームページにも詳しい)。中・南米では20年以上も前に、このアメリカ戦略が展開された結果、ここ数年ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレス政権などの反米・左翼政権が樹立された。20年来、農村に水牛を贈る活動をしている「水牛家族」がスタディ・ツアーを計画していることを知り、フィリピンという初めての地と、そこで「抵抗している」人々や稲作中心の農業の現実を見てみたいと、強く感じた。
以下、8月24日~31日までの旅の記録を短く記します。

24日、
午後、成田からセブ国際空港へ。夜、セブ港からレイテ島に向かう。

25日、
未明にレイテ島オルモックに到着。午後、リボンガオで20周年記念式典に参加。オルモックのホテルに宿泊。

26日、
終日オルモック。バブテストの教会で「水牛家族」の会議を傍聴する。

27日、
タクロバンに向けて小旅行。途中、リモン峠で「第1師団慰霊碑」を見、カブーカンの教会に寄る。パロ・テラーサ地区の村を訪問し、同じくパロの海岸にある「マッカーサー記念公園」を散策。タクロバン泊。

28日、
タクロバンからオルモックに戻る。カブーカンのロペスさん宅で昼ご飯をご馳走になり、私はツァーの仲間と別れてリボンガオへ。同じ農民として、壊れた井戸の修理方法をアドバイスする。事務局ティム宅に投宿。

29日、
カナンガ町庁舎で、町長・軍関係者・「水牛家族」スタッフの話し合いに参加。緊迫した一瞬もあり緊張する。オルモックに戻り、ストリートチルドレンの施設で彼らと交流する(スコールに打たれながら死闘のバスケットボール)。
30日、オルモックからセブ島へ。セブ市のサンロケ地区を訪問し、日本のODAによって多くの人が住む場所を奪われスラム化している現実を見る。

31日、
朝、セブ国際空港から成田へ。午後、到着。
以上が、一週間の短い記録だが、実は今、「私家版・フィリピンの旅」を書いている途中で一つ一つの出来事はもちろん、町や村の風景・人々の表情、何を食べ飲み話したか、を書き出すと原稿用紙50枚は優に超える。泉のように、思い出が映像として湧き出てくるのだ。さらに、帰ってからかつての日本軍が仕掛け敗退したレイテ戦・フィリピン戦を調べる。フィリピンでは、日本軍兵士50万人がほとんど全滅という状況で戦死し(戦死兵210万人のうち)、110万人のフィリピン人が犠牲になっている。侵略戦争として断片的な事しか知らない私は、

調べるうちに改めて過去の日本の過ちに大きなショックを受ける。そしてまたもや、憲法を変えて海外で武力行使が可能な道を探る勢力が力を持ち始めている現実!
レイテ島で出会った人々の笑顔が忘れられない。そして、同じ農民として厳しい現実に立ち向かっている「彼ら」との「これから」の友情を予感している。また必ず再訪したいと考えている。

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