水牛家族って? どんなところ? マンゴー・プロジェクト レイテ・グッズ オルモック物語 スタディ・ツアー 水牛家族通信 入会の方法


スタディツアー体験談

岩下光恵さん

田嶋智裕さん

友野重雄さん

羽田ゆみこさん

平澤直人さん

薮下 直子

宮脇由里子

阿部興二

佐藤祐三

 

 

レイテの風に吹かれて
宮脇 由理子

セブからの高速艇に乗り、レイテへの風に吹かれると私の心は軽くなります。大地に根付いた人間の原風景、美しいジャングルの緑、川等を目にすることで、私の心が解放されていった去年の感覚を思い出し心が軽くなるのです。去年に続き、今年もまたレイテにやってきました。
 今年は去年とメンバーが違い、池田さん、吉田さん、藪下さんを迎えてのスタディツアーです。池田さんのお父様は戦争中、軍医をされており、池田さんが2歳の時にレイテのどこかでお亡くなりになったとのこと。また、吉田さんの叔父様もレイテで亡くなっていらっしゃいます。今回のレイテの旅は私に『戦争』について深く考える旅となりました。

 オルモック到着の翌日はバイバイへ南下しましたが、町はずれの山を車で登って、その後歩いて山に入って行くと、そこには日本兵が昼間隠れていた洞穴がありました。中は案外広く、しかし腰をかがめてしか歩けませんでしたが、「よくこんな遠くまで日本人が来たね」と亡くなられた日本兵の方々の声が聞こえてくるような気がしました。美しい緑に囲まれたジャングルの中で、昼間は洞穴に隠れ、夜、食糧調達に赴いた兵士の方々に思いを馳せます。
 その後、ビサヤ総合大学に戻ると、元抗日ゲリラ兵で、アメリカ極東陸軍の兵士でもあったエスピノサさんが待っていてくださいました。彼は日本の野戦病院でも働いていたとのこと(※1)で、エスピノサさんは私たちを前に日本兵に親切にしてもらったこと、バイバイでは日本兵の残虐な行為等はなかったこと等、話してくださいました。そして、笑顔で私たち一人一人の幸せを神に祈ると言ってくださいました。

 翌日訪れたドラグでは、日本軍駐屯地近くに住んでいたワニータ・ヒノピアーノさん(88才)のお話を聞くことができました。彼女も、話しながらいろんなことを思い出すようで、一生懸命お話しくださいましたが、あまり日本兵の残虐行為については多くを語りませんでした。68年も前のこと、日本人にもいろいろな方がいるし、今さら憎しみも消えてしまったということでしょうか・・?(※2)

 私はふと気になり、帰国後、母に戦争当時の話を尋ねます。母はエスピノサさん(87才)やワニータさんより10歳程年齢が若く、当時子どもだったのですが、その口は重く、あまり自分からは話しません。私の質問にはできる限り答えてくれましたが、「思い出すと情けなくなる。みじめになる。でもすべてはっきり覚えている」と言いました。私はボランティアで人の悩みを聞く活動をしていますが、あまりにつらい、受け入れられない体験を話すことは、なかなか簡単なことではありません。話すことにより、自分で自分を統制できなくなるような恐怖があるのだと思います。そして『戦争』は一人一人の心の奥底に、口にすることを憚られるような大きな傷を残し、68年経った今でもそのことを払しょくできないということに慄然としました。エスピノサさん、ワニータさんも心の奥深く、言葉にすることを憚られる想いが秘めていたのかもしれません。

 去年のレイテ・スタディツアー以降、十五年戦争で生き残った方々の証言を集めて記録している本などをむさぼり読み、その悲惨さに衝撃を受けておりましたが、今回の旅は、戦争を体験した方の肉声を聞くことができました。現在、『戦争』を知ろうとしなければ知ることさえできない世代が大半となっています。戦争で亡くなられた方、生き残って苦しみ続けた方々に思いを馳せ、その無念、絶望を深く心に刻みたいと思います。

※1
10代半ばだったエスピノサさんは、祖父が所有していた土地と建物が日本軍に接収され、駐屯地として使われるようになったため、敷地内にできた日本軍の病院で働くことになった。しかし、多感な学生時代を過ごしていたエスピノサさんは日本軍の侵略行為に疑問を持ち、ひそかにゲリラ活動に参加するようになった。後に米被合同軍(ユサッフェ)兵士として認められ、最近ようやく旧軍人恩給が受けられるようになった。

※2 
ワニータさんはきれいな英語を話し、こまかい記憶もはっきりしている。戦前のレイテ島は、外国貿易がさかんで文化度も高く、海岸沿いの都市部では女性たちもごく普通に高等教育を受けていたという。10代だったワニータさんは、近くに日本軍の駐屯地が建設されたため、母親のつくったお菓子を駐屯地に売りにいったり、将校倶楽部のダンスパーティに招かれたこともあった。そのうち、ワニータさんの家へ兵士たちが気軽に立ち寄るようになり、ある日、顔なじみの大尉が、日本に残してきた妻と生まれて間もない子どもが写っている写真を見せてくれた。大尉は、いとおしそうに写真を見ながら、「もう日本に帰れないかもしれない。そうしたら、妻や子どもと天国で再会するだろう」といっていた。レイテ戦が始まると、レイテ湾に集結したアメリカ艦隊の艦砲射撃で駐屯地にいた日本軍は壊滅状態に。以後、大尉の姿を見ていない。戦死して、きっと天国で妻子と再会を果たしたのでは、という。
 また、ワニータさんは、家族同然に暮らしていた従兄を日本軍によって殺害された経験を持つ。従兄は、ある日、日本軍の飛行場建設地にうっかり入り込み、言葉がわからなかったためにゲリラと疑われ、椰子の木にしばられ、銃剣で刺されて殺害された。こうした個人的な体験は、知り合って何年もたって信頼関係ができてからでないと聞くことが出来ない。(竹見)

inserted by FC2 system